広島高等裁判所 昭和35年(う)71号 判決 1961年7月03日
控訟人 被告人 田村政夫 外二名 弁護人 星野民雄 外二名
原審検察官
検察官 湯川和夫
主文
本件各控訴を棄却する。
当審の訴訟費用は全部被告人田村政夫の負担とする。
理由
被告人三名の弁護人星野民雄、小林直人、外山佳昌、検察官湯川和夫の陳述した各控訴の趣意は記録編綴にかかる右三弁護人連名並びに検事醍醐政作成名義の各控訴趣意書(弁護人の論旨第二点についての補充書を含む)記載のとおりであるからここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。
弁護人等の論旨第一点(事実誤認の主張)について。
所論は詳細を極めるのであるが、要するに原判示各事実の総てを否定するものである。
そこで記録及び原審で取調べた各証拠並びに当審における証拠調の結果に基き、原判示の順序に従い各所論に検討を加えることとする。
第一、原判示第一の被告人田村の公文書毀棄、公務執行妨害の事実について、
所論は先ず(1) 、被告人田村が原判示の日時場所において国鉄広島客車区長小迫豊彦より原判示の業務命令書を故なく奪い取つた事実はないと言うのである。しかし原判決の挙示する各関係証拠、殊に証人小迫豊彦(三回)、同惣附盛義(二回)、同藤川岩行、同関東孝義の各供述及び押収の紙片一袋(証第三号)を綜合すれば、原判示日時場所で広島客車区長小迫豊彦が原判示国鉄職員松村勝外一七名に対し、同人等に対する業務命令書一八通を交付すべくボケツトからこれを取出し右手から左手に持ちかえた途端、被告人が怒声と共にこれを引きたくるようにして奪い取り(各命令書はそのため、ちぎれてその一部が小迫区長の掌中に残つた=証第三号の紙片がそれ=)、すぐその場でこれを引破つたことを優に認め得られ、右押収の紙片(証第三号)は右小迫、藤川、関東の各証言並びに証拠物自体により所論に拘らず被告人が右の如く小迫区長より業務命令書を奪い取つた際、ちぎれて小迫区長の手中に残つたものであることが認め得られるのであつて、当審におけ証拠調の結果(小迫証人の当公廷における証言)を加えると益々その心証を強くするのである。所論の引用する各証人の供述はいずれも前掲各証拠に対比したやすく措信し難いところである。
次に所論は(2) 、本件業務命令書は刑法第二五八条に言う公務所の用に供する文書には該当しないと言い、その根拠として国鉄が公務所でないこと、本件業務命令書が真実の業務命令書ではないことの二点を挙げるのである。
しかし前者について言えば、日本国有鉄道法(以下国鉄法と言う)第二条、第三四条一項によれば日本国有鉄道(以下国鉄と言う)は公法上の法人であつて、その役員及び職員は法令に依り公務に従事する職員とみなされるから、その職務を行う場所たる国鉄の施設具体的には本件広島客車区が刑法第二五八条の公務所に該当することは同法第七条によつて明かと言うベきであり(昭和二三年一〇月二八日最高裁第一小法廷判決、最高裁判例集二巻一一号一、四一四頁、昭和三〇年一月二一日大阪高等裁判所第一刑事部判決、高裁判例集八巻一号七頁、各参照)、又刑法にいわゆる公務所の用に供する文書とは公務所の用に使用される文書と言う意味と解すべきところ、本件業務命令書は作成後各名宛人に適法に交付されるまでは広島客車区において保管すべきもので、名宛人に交付することによつてこれを使用するものと言い得るから、所論にかかわらず本件業務命令書は、公務所たる広島客車区の用に供する文書と解するを相当とするのである。
所論は又本件業務命令書は真実の業務命令書ではないと言うけれども、前顕各証拠によれば先ずこれが形式上広島客車区長名義を以て作成された業務命令書であることは明かであるところ、国鉄職員の毎日の具体的な業務は、予め作成せられてあるいわゆる作業ダイヤによつて既に前以て決つていることは所論のとおりであつて、本件業務命令書の記載は、名宛人の執るべき業務の具体的な詳細な内容に触れたものではなく、各対象の職員の右作業ダイヤによつて決つている当日の業務の標題(例えば検車等)を記してこれに就くことを命じたもの、すなわち各人のそれぞれの当日の業務を確認指令したものに過ぎないものであることはこれまた所論指摘のとおりであるけれども、本件の如く職員が上司の許可なくして、執務時間に食い込んで職場大会を開催する虞れの明かに認められるような場合においては、当該職員をしてその業務を再認識せしめ、就労の確保を期するため、所定の業務(作業ダイヤにより決定済みの)に就くべきことの命令を発し得ることは証人小迫豊彦等の証言をまつまでもなく、事柄の性質上当然のことと言うべきである。
しかして右業務命令は、それが口頭であると文書であるとは問うところではないが本件のそれは広島客車区長が前記の如き状況に鑑み職員の当日の業務を確保する目的を以て発した適法な文書による業務命令と言うことができるのである。
従つて国鉄当局がこの種業務命令書を用いた過去の実績が、いずれも国鉄労働組合員より組合運動の行われている時におけるものであり、組合員側の要求によりこれを撤回したことも一再ならずあつたこと等より見て、国鉄側が右業務命令を発することは国鉄労働組合員の労働運動に対する対抗手段と見られる節があるとしても、このことにより直ちにこの業務命令書が単に当該職員に所定の業務に就くことを勧告するものに過ぎないのであつて業務命令としては真実に反する違法且つ無効のものであるとは到底認め難いのであり、又被告人田村が本件業務命令書を知情の上破棄したものであることは各般の証拠により十分認められるところである。
又所論は(3) 、原判示の小迫区長より訓示を受けたものは松村勝一外一七名ではないと言うが、これまた原判決の掲げる各証拠によれば判示の如くであつたことが認められるのである。仮りに右の人数に多少の変動があつたとしても右小迫区長が松村勝一外一七名の職員に対し業務命令書を手交すべく、これをポケツトより取出したことは明かであるから、同人の訓示を受けた職員の人数の点についての些少の誤差は何等該業務命令書の効力に影響を及ぼすものではない。
更に論旨は(4) 、被告人田村の行為は文書毀棄の要件を充足しないと言うけれども、右は前記認定事実に反し同被告人が小迫区長より右命令書を受取り各名宛の組合員に一応手渡し、又は見せたと言うことを前提とするものであつて、その不当であることはここに贅言を重ねるを要しないところである。
第二、原判示第二の(一)の(イ)、(ロ)、及び(二)の被告人本間の暴力行為等処罰に関する法律違反、暴行、公務執行妨害、被告人田村の公務執行妨害の各事実(横川駅における事件)について。
(一) 先ず所論は(1) 、被告人本間の多数人との共同による横川駅長室における器物損壊の事実、並びに同駅長事務室における暴行の事実を否定するのであるが、原判決の挙示する各関係証拠殊に証人笠井博、加藤守二の各証言、現場写真並びに証拠物によれば、被告人本間が原判示日時場所において、判示の如き各経過を辿つた後、同駅長室応接机の上に置いてあつたアザリヤの植木鉢を同被告人の顔の高さまで持ち上げてこれを土間に投げ付けて破壊したこと、そしてすぐその場にいた同行の国鉄組合員約二〇名に対し「ビラを貼れ」等と指示し、これに応じて右組合員等は、かねて用意のバケツに入れて持参した糊を駅長用事務机の上に流す等して右机、窓硝子等一面にビラを貼り付け、又右駅長笠井博の私物たる合オーバーの裏側に多量の糊を流し込んだ事実、並びにその後同日午後六時三〇分頃、同駅長事務室において右駅長に対し原判示の如き暴行を働いたことをそれぞれ優に認定し得られるのである。
弁護人は被告人本間は駅長室の机、腰掛、電話器、植木鉢等に糊のつくのを避けるよう組合員に指示したと言い、或は組合員の一人が誤つてアザリヤの植木鉢を落したのであると言い、更に同被告人が組合員にビラを貼れと指示し共同してビラを貼つたことはないと主張し、これらに副う供述を為した各証人の証言を引用するけれども、所論の右各証人の供述は前顕各証拠に対比し到底措信し難い。
次に所論は(2) 、窓硝子又は什器にビラを貼る行為、オーバーを糊で汚損する行為は刑法に言う器物損壊には当らないと言うのである。しかし前記各証拠によるとそのビラ貼の状況たるや尋常一様のものではなく、被告人本間等は右横川駅長室内に所嫌わず実に数百枚のビラを貼りつけ、殊に窓硝子には余すところなく一杯に貼りつけたものであり、為めに同室特に窓硝子は美観を損なつたのはもとより、昼間であるのに拘らず採光することができず、電灯を点じなければ執務し得ないと言う異常な暗さを招来し、又駅長事務机は約バケツ一杯の糊を流し、且つその上にビラを貼りつけたため、その儘では到底その上での執務は困難な状態となり、駅長の合オーバーはクリーニングしなければ絶対に使用に堪えない程度に汚損したものであることがそれぞれ認め得られるのである。すなわち合オーバーは固より右窓硝子及び駅長用事務机も被告人本間等の右の如き所為により一時的ではあつてもその物の本来の効用を滅却されたものと言わざるを得ないのである。所論は右窓硝子、駅長用事務机及び合オーバーはいずれも物理的破損を受けておらず水洗い等による清掃或はクリーニングにより容易に原状に復元せしめ何等の不都合なくして再び使用し得られるから損壊とはならないと言うものの如くであるが、刑法にいわゆる損壊とは物理的に物の一部又は全部を害し、又は物の本来の効用を失わしめる行為を言うものであつて、その物を修復して再び使用することのできない程度に毀損すると言うことは必ずしも損壊の要件でないことは、既に判例が盗難、火災予防のため土中に埋設したドラム缶入ガソリン貯蔵所の土壌を発堀してこれを露出せしめた行為、或は看板を取外して投げ棄てる行為(昭和二五年四月二一日及び同三二年四月四日各最高裁判例、同判例集四巻四号六五五頁、並びに同一一巻四号一、三二七頁各参照)など、復元の比較的容易な毀損行為について器物損壊罪の成立を認めたことに徴するも明かと言わねばならない。
以上を要するに合オーバーについて損壊罪の成立することは疑いの余地なく、又駅長用事務机、窓硝子等に対するビラ貼り行為も、前段で説示したその方法、程度及びそれによつて受けた影響等各般の状況を勘案すれば、少くとも本件の場合に関する限り既に損壊の域に達しているものと言わなければならない。
(二)、次に所論は(1) 、被告人本間、同田村において広島駐在運輸長山崎鯉三郎に対し、原判示第二の(二)の如き暴行を加えたことはないと言うのであるが、これまた原判決の挙示する各関係証拠殊に原審証人山崎鯉三郎、島津成明、大屋重宏の各証言によれば該事実はこれを認めるに十分であつて、当審の検証の結果によるも右心証は動かし難いところである。右認定に反する所論引用の各証人の証言はいずれも右各証拠に対比し信用に価しない。
所論は又(2) 、山崎駐在運輸長の職務は、運輸に関する現業の業務の指導について鉄道管理局長を補佐するにあるものであるから、右管理局長おいて通常、運輸長に対し、特定の駅構内の施設の管理権を与えることを特命するが如きことはあり得ないことであつて、従つて右山崎は、本件当日横川駅構内にある広島車掌区乗務員詰所の施設管理権は有していなかつたものである。それ故同人が被告人本間、同田村に対し右詰所より退去を求めたことは、正当なる職務行為ではなく越権行為であると言うのである。
しかし原判決の挙げる原審証人山崎鯉三郎、同伊江朝雄の各証言によると、山崎運輸長の職務は鉄道管理局長の指揮を受けて運輸に関する現業の業務の指導監督をするのではあるけれども、本件当日は午後二時頃既に、横川駅構内及びその地上建造物について総括的管理権を有している右管理局長より同局労働課長を通じ電話を以て、横川駅における事態をよく把握して臨機の措置を構ぜよという命令を受けており、更に同日午後四時四〇分頃に至つて、前同様の方法を以て同局長より原判示の如く鉄道公安職員或は警察官の出動を要請する等の臨機の措置を以て横川駅横内の違法状態を解消せしめるよう特別に命令を受けていたことが認められ、右命令は所論の如く駅長室の違法状態除去に関するのみのものではなく、原判示詰所における違法状態の解消、すなわち同詰所に浸入した国鉄労働組合員を退去せしめることも含まれているものと解せられるから、山崎運輪長が被告人本間に対し詰所外に退去を求めたことは右特命を遂行する行為のうちの一態様であつて、もとより適法なる職務行為であると解すべきであるからこれに対し被告人本間、同田村の両名が原判示の如き暴行を行うにおいては、山崎運輸長の公務の執行を妨害したことになること勿論と言わねばならない。
第三、本間被告人の原判示第三の公務執行妨害の事実について、
所論は先ず(1) 、被告人本間は鉄道公安職員新堀秀夫に対し判示の如き暴行を加えたことはないと言うのであるが、原判決の挙示する各関係証拠殊に原審証人大森勇、同新堀秀夫の各証言、各写真及び八ミリフイルムによると原判示事実は優にこれを認め得られるのである。所論は新堀秀夫の証言を信用し難いと言うが、それはその負傷の点についての供述を捉えて云々するのであつて、負傷については原判決もこれを認定しなかつたのであり、それあるがために同人のその他の証言部分も信用性がないとは他の関係証拠との対照上到底言えないのであり、右認定に反する所論引用の各証人の証言は前記各証拠と対比し容易には信用し得られないところである。
次に所論は(2) 、本件鉄道公安職員の各職務執行は刑法第九五条の要件たる「正当な」職務権限の行使にあたらないと言うのである。
しかし新堀秀夫等多数の鉄道公安職員は当日広島鉄道管理局長よりの命令により広島鉄道公安室長大森勇の指揮のもとに、国鉄労働組合広島地方本部の開催した原判示の団交再開要求総けつ起大会に引続き行われた同組合員多数による同管理局庁舎正面玄関前へのデモ行動中に、これらデモ隊員が同庁舎内に侵入することを防ぐために、同庁舎正面入口において警備の任についていたものであつて、右警備行為そのものが鉄道公安職員の職務に該当することは「鉄道公安職員の職務に関する法律」の趣旨に照し明白であり、同法律が所論の如く鉄道公安職員は、国鉄労働組合の労働運動に介入しないと言うことを条件として成立したものであつたとしても、労働組合の労働運動であるからといつて、その行動の過程において、犯罪となるようなことをしてはならないことは当然のことであるから、国鉄の施設内において公安維持の職責を有する鉄道公安職員が、これを抑制防止するがための警備行為を為し得ることは蓋し自明の理である。従つて偶々本件鉄道公安職員の行動が外観上前記組合員の労働運動行為に介入したもののように見受けられるところがあつたとしても、右警備行為は国鉄の施設である広島鉄道管理局庁舎内に大挙して不法に浸入しようとする同組会員を阻止せんがためのものであること前記のとおりであるから右は鉄道公安職員として正当なる職務行為と言うべきである。
所論は鉄道公安職員の実力行使のことを云々するけれども原判決の挙示する関係証拠によれば、前記鉄道公安職員等は右管理局庁舎正面入口に五、六列の横隊となつて組合員デモ隊の庁舎内えの侵入を阻止すべく警備していたところ、人数において圧倒的多数を誇る組合員側において、再三に亘り波状的に右公安職員の隊列の前に押し寄せ、正面入口の戸を開けて組合員を入室せしめることを要求し、遂には実力を以て公安職員の一人一人をその場より連れ出すいわゆるごぼう抜き戦術に出でて来たため、これを防止すべく対抗的に或る程度の実力を用いたものであることを認めるに十分であつて、右は組合員側の前記の如き暴挙を排し、当日課せられていた警備の任務を果すためのやむを得ない措置としてなお公安職員の職務執行の範囲内に属するものと解するのが相当である。所論は種々の立論を以てその不当性を強調するけれども、いずれも未だ以て右公安職員の本件警備行為並びにそれに附随する最少限度のいわゆる実力行使が違法な越権行動であることを首肯せしめるに足らないのである。従つて公安職員の叙上職務執行中に組合員側において多少の負傷者を出したとしても事柄のなり行き上やむを得ないところと言うの外はないのである。
第四、田村、末宗両被告人の原判示第四の暴力行為等処罰に関する法律違反の事実について、
所論は先ず(1) 、両被告人が原判示日時場所で判示のビラを貼つたことを否定するものであつて、本件のビラはその以前に既に貼つてあつたものであると言うのである。
しかし原判決の挙示する各関係証拠を綜合すれば、原判示のごとく本件の前日たる昭和三三年五月九日までに国鉄組合員等によつて判示詰所に貼られていたビラを、国鉄側において本件の当日たる五月一〇日の午前中に広島客車区長小棟定の指揮により臨時に雇入れた人夫を用いてその外側のビラ全部を剥がし取り、ビラは一枚も残つていなかつたところ、被告人田村、同末宗の両名及び原審相被告人であつた末田静夫等が同日午後二時頃右詰所に赴き、共同して同詰所の北側の外板壁に原判示の五枚を含む多数のビラを貼り付けたことが明認されるのであつて、右認定に反する所論引用の各証人の証言或は被告人等の供述はいずれもたやすく措信し難いところなのである。
次に所論は(2) 、広島高裁松江支部の判例を引用し、被告人等の貼付したと言う本件五枚のビラは、その言葉はどぎついが、そこに書かれた「地獄」その他の害悪は右判例に言う被告人又はその左右し得る他人を通じて可能ならしめる性格のものではないから罪とはならないものであると言うのである。
被告人等を含む国鉄職員が原判示ビラに記載されていることをそのまま実現せしむべき意図のなかつたことは推測に難くないのであるが、しかしその書かれた害悪の内容は結局広島客車区長小棟定の生命に危害を加えることを暗示した通告であつて、事柄の性質上決して被告人等自身或はその左右する他人を通じて可能ならしめる性格のものでないとは言い難いのであるから、被告人両名の右ビラ貼りの所為はその記載内容よりして小棟定に対する脅迫行為にあたると言わざるを得ないのである。所論引用の判決は本件に適切とは言えない。
以上これを要するに、原判示の各事実はその挙示の各関係証拠により十分これを認め得るのであつて、原判決には所論の如き判決に影響を及ぼすべき事実の誤認は存しないから論旨は結局総て理由がない。
弁護人の論旨第二点(法令の適用の誤りの主張)について
所論は先ず(一)、原判決が国鉄職員を以て刑法第七条の法令により公務に従事する職員と解し、その業務が同法第九五条第一項の公務員の職務の執行に該当すると解したことを以て法令の解釈適用の誤りを冒したものとするのであり、国鉄職員は公務員ではなく、その行う業務も私鉄業者の業務と何等撰ぶところがないから公務ではない。国鉄法第三四条の公務員とみなすとの規定は、国鉄の役職員は、その者が刑法その他の罰則の適用を受ける場合には法令により公務に従事する職員とみなすと言う趣旨と解すべきであると言うのである。国鉄法第三四条第一項が国鉄の役員及び職員は法令により公務に従事するものとみなすと規定し、同第二項に役員及び職員には国家公務員法は適用されないと規定しているところよりして、国鉄の職員が国家公務員でないことは明かであるけれども、既に最高裁の判例にも示されている如く国鉄は、従前純然たる国家の行政機関によつて運営せられて来た鉄道その他の事業を経営し能率的な運営によりこれを発展せしめ、以て公共の福祉を増進することを目的として(国鉄法第一条)設立せられた公法人(同第二条)であつて、一般の行政機関とは異り国家に対し自主性を有するところもあるが、その資本金は全額政府の出資にかかり、その公共性は極めて高度のものであるから、国家はこれに対してかなり広汎な統制権を保有しているのである(同法九条以下、二〇条、三九条以下五〇条等参照)。これと同時に国鉄職員も国鉄法施行と共に運輸省職員として国家に対し特別権力関係に立つていた従来の地位をある程度脱却し国鉄と私法関係に立つに至つた点があるとは言え、なおその身分は一般の営利会社の職員と全く同様のものとなつたのではなく、職員は法令により公務に従事するものとみなされ(同法第三四条一項)、職務の遂行については誠実に法令、業務規定に従い全力をあげて職務の遂行に専念しなければならない旨(同第三二条)国家公務員と同様の規定がおかれ、一定の事由があるときは、その意に反して降職、免職、休職にされ(同第二九条、第三〇条)、一定の事由があるときは懲戒処分を受ける(同第三二条)等公務員的性格を保有し、国家公務員共済組合法、健康保険法、国家公務員災害補償法、失業保険法等の関係においては、国に使用され、国庫の報酬を受けるものとみなされ(同第五七-六二条)、更に公共企業体労働関係法(第一七条)によれば国鉄職員は一切の争議行為を禁止されているのである。
このように、国鉄職員の身分は一方においては私法的側面を有すると同時に、なお種々の点において公法的取扱いを受け従つて公法的側面を有するのであつて、このことは前記の如き国鉄の高度の公共性とその大部分が国家公務員より移行したと言う経過を顧みると寧ろ自然のことと言えるのである。(昭和二九年九月一五日最高裁大法廷判決、同判例集八巻九号一六〇六頁参照)叙上の如き国鉄並びに国家公務員に準ずべき幾多の点を保有する国鉄職員の法律上の性質に鑑みるときは(その職員の権利義務は国家公務員の有する職権職務と実質上相異らないものが多分に存するのである)国鉄法第三四条第一項に公務員とみなすと言うのは所論の如くその者が刑法その他の罰則の適用を受ける場合にのみ法令により公務に従事する職員とみなすと言う趣旨に極限して狭く解すべきではなく、国家公務員を除く大多数の各法律の下において公務員と見なされるものと解すべく刑法においても広く右国鉄法第三四条により国鉄職員は刑法第七条にいわゆる法令により公務に従事する職員即ち刑法上の公務員であつて、それ等の者の犯した罪について公務員としての取扱いを受けるに止まらず、第三者の行う職員に対する犯罪についても公務員として保護されているものと解するを相当とする。(なお昭和二四年一〇月二八日最高裁第一小法廷判決、同判例集二巻一一号一四一四頁を参照)、従つて国鉄職員の行う職務はとりもなおさず公務であつてその行う職務を暴行又は脅迫を以て妨害するにおいては公務執行妨害罪の成立することは最早自明の理と言うべきである。(尤も最高裁は後記の如く、場合によつては威力業務妨害罪が成立することを最近判決した。)
所論は国鉄の行う事業ないし業務は本質上公務に該当しないから、その事業ないし業務を現実に行う国鉄職員の業務は公務ではないと言うのである。
なる程国鉄の行う事業を内容的に見ると、それは運輸を目的とする鉄道事業その他これに関連する事業ないし業務であつて、国鉄はこれらの現業事業体に外ならないのであり、民営鉄道と何等異るところがないことは所論指摘のとおりであつて、最近における最高裁の判決は明かにこのことを判示したのである(昭和三五年一一月一八日最高裁第二小法廷判決)。しかし右判決は国鉄の事業ないし業務が公務ではないと言つているのではなく、それが実定法上公務に該当することは認めながら、その事業の実質に着目し、その内容が前叙の如く民営鉄道のそれと異るところがないから、公務ではあつても、威力業務妨害罪の対象となり得ない筈はないと言つたものであつて、注目に価する判決ではあるけれども、所論の如く右判決は国鉄の事業ないし業務が公務であることを否定したものではなく、寧ろそれが公務であることの前提に立つた上なお且つ其の業務の実態に鑑み国鉄職員の行う業務に対する妨害行為はその手段方法の如何によつては公務執行妨害罪の外威力業務妨害罪の成立することがあるべきことを判示したものであるから、所論が右判決を引用して国鉄の業務が公務でないと言うのは当らない。
されば原審が国鉄職員を刑法上の公務員と解し、それに対する犯罪を以て公務員に対するもの(公務執行妨害罪)と断定したのは極めて相当であつて、原判決には所論の如き違法はない。(なお被告人田村は当審における最終陳述において国鉄職員は公務員ではないことを具申し縷々その理由を述べるところがあるが、そのいずれも該らざることは前記説示により諒解すべきである。)
次に所論は(二)、仮りに然らずとするも国鉄職員の職務執行の保護は鉄道営業法第三八条で為されているものであるから、刑法第九五条第一項の保護法益中には国鉄職員の職務執行は含まれない。すなわち被告人等の原判示所為中公務執行妨害罪に問われているものは鉄道営業法第三八条を以て処断すべきものであると言うのである。
しかし鉄道営業法第三八条の規定は公務執行妨害罪に対する特別法として後者の適用を排除するものとは解せられず(昭和二九年六月三〇日東京高裁第八刑事部判決、高裁判例集七巻七号一、〇六八頁参照)右両者の規定は互に交錯するところはあるが、一般法、特別法の関係にあるものと言うことはできない。右両者の構成要件に該当する場合には観念的競合の関係にあるものと言うべきであつて、このことは所論の如く既に最高裁大法廷の判例の示すところであつて、本件について今これに反する解釈をとるべき必要も理由も存しないのであるから、原審が被告人等の原判示関係所為に対し各公務執行妨害罪を認定擬律したことは相当であつて、(本件の各公務執行妨害の所為は他面又鉄道営業法第三八条に該当し右判例によれば両者は観念的競合の関係にあるものと言うべきであるから原審が重い公務執行妨害罪の法条を適用処断したことは結局正当である。)原判決には所論の如き違法は存しない。所論は独自の見解に立脚し右両規定を以て一般法特別法の関係にあるものと為し、原判決の法令の適用を非難するものであつて到底採用の限りではない。論旨は結局理由がない。
検察官の論旨並びに弁護人の論旨第三点(いずれも量刑不当の主張)について
記録を調査するに、被告人等の原審以来の供述態度、本件に対する考え方等によると、被告人等は、検察官所論の如く改悛の情がないと言えるかどうかは別として、本件各犯行について格別反省の色は見受けられず、又被告人田村、同本間の両名が常習的とは言えぬまでも、原判示各犯行を比較的短期間内に繰返して行なつていること、そしてこれらの内には、前の事件の保釈中に行われたものも二、三存することも検察官指摘のとおりであり、更に本件各被害者達には特に非難すべき点はなく、弁護人や被告人等の強力に主張する横川駅長笠井博の交渉態度、或は広島客車区長小棟定の平素における組合員等に対する態度にしても、前者について言えば、被告人等が横川駅長に対し原判示の如き内容の団体交渉をすること自体が既にいわゆるお門違いなのであつて、これに対し交渉事項について何等の権限のない笠井駅長が、当局の指示通り話合いを拒否したのは寧ろ当然のことであり、又後者についても小棟区長が、その前任者と異り、被告人等の意に従うところなく、国鉄当局の方針に則つて行動したのを被告人等組合員等が不満としたものであつて、同人の性格がややきつく、その上多少融通の利かない面も見受けられないではないが、そうかといつて、所論の如く無理解な冷血非情の人物とも認められないから、右両名を含む本件の各被害者には格別事件についての責任らしきものは認められないのであつて、被告人等の犯情はかなり重いものがあると言わねばならない。
しかし反面被告人等の本件各犯行は、いずれも私怨に出でたものではなく、国鉄労働組合の組合運動の一環として為したものであつて、偶々その程度を逸脱したがために犯罪に問われたものであるが、その一つ一つを抽出して見ればいずれもさして重大な犯罪ではないのであつて、被害も概ね軽微なものばかりである。しかして本件については、直接的には前記の如く国鉄ないし被害者の側に非難すべき落度はなかつたにせよ、遠くその原因をたずねるにおいては、弁護人所論の如く、その業体が民営企業と類似している国鉄職員に対して、争議行為を禁止していることに胚胎しているものと解せられる節も多分に存するのであり、被告人等の本件各所為が犯罪を構成するに足る行き過ぎのものではあつても、要するに国鉄労働組合員全体のために国鉄当局に不当ありとして、組合員相互の生活その他の向上のためにした組合活動としての一連の行為であつたことを考えると、被告人田村、本間の両名に対し懲役八月を科しつつもその刑の執行を猶予し、又被告人末宗に対しては罰金刑を以て臨んだ原審の量定はその苦心の程が十分窺えるのであつて、洵に当を得たものと言うべく、検察官並びに弁護人所論の如く不当に重くもなく、又軽きに失するものでもないから各論旨は理由がない。
そこで刑事訴訟法第三九六条に則り本件各控訴を棄却し当審の訴訟費用は同法第一八一条第一項本文により被告人田村をして全部負担せしむべきものとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 村木友市 判事 幸田輝治 判事 牛尾守三)